「私の判断では、横田めぐみさんも生きている」金賢姫・元北朝鮮工作員が堪能な日本語で赤裸々に語った田口八重子さんとの共同生活1年8カ月

By | October 3, 2022


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金賢姫元北朝鮮工作員

韓国・大邱で共同通信の単独会見に応じる金賢姫元北朝鮮工作員

1987年12月、大韓航空機爆破事件で逮捕され、ソウルの金浦空港に移送された金賢姫・北朝鮮工作員

記者会見する金賢姫・元北朝鮮工作員=1991年5月16日午前、ソウル市のプレスセンター

金賢姫元北朝鮮工作員

拉致被害者田口八重子さんの長男耕一郎さんに料理を食べさせる金賢姫元工作員=2010年、長野県軽井沢町(政府拉致問題対策本部提供)

拉致被害者横田めぐみさんの母早紀江さん(右)の手を握りながら話す金賢姫元北朝鮮工作員=2010年7月、東京都内のホテル(政府拉致問題対策本部提供)

金賢姫元北朝鮮工作員

 ▽日本人になりすまして工作活動を行うため、拉致被害者の田口さんから日本語を学んだ

 8月中旬、韓国南東部・大邱。金元工作員は警護係とみられる男性らと共にインタビュー場所のホテルのロビーに姿を現した。乗客乗員115人が死亡した1987年11月の大韓航空機爆破事件の実行犯。事件直後に中東のバーレーンで拘束、韓国に移送され、両脇を抱えられながら飛行機のタラップを下りるシーンは当時、世界の注目を集めた。35年が経過したが、遠目に顔を見てすぐ金元工作員だと分かった。当初、韓国語でのインタビューを想定していたが、あいさつで日本語が極めて堪能だと分かり、日本語で行うことにした。

 大韓機爆破事件では「蜂谷真由美」名義の偽造日本旅券で搭乗して爆弾を仕掛けた。日本人になりすまして工作活動ができるよう、1981年7月から平壌郊外の招待所で田口さんと共同生活を送っていた。初めて会った時は「背が高くて洗練されていて、日本女性の印象とは少し違うな」と感じたという。田口さんは日本の文化や風習、化粧の仕方まで一生懸命教えてくれ「東京についても有楽町とかなんとか(地名まで)覚えた。毎日覚え、試験を受けながら勉強した」と振り返る。

 田口さんは直接「拉致された」とは明かさなかったが、2人の子どもを日本に残してきており、最初に招待所に来た時「幼い子どもがいるから帰して」と泣いたと世話役から聞いた。まだ母乳も出ていたという。「合法的に来たんじゃないな、何か事情があるんだなと思った」。田口さんが酒杯を傾け、遠く離れたわが子の年を数える姿を見ると胸が痛んだと話す。

 ▽田口さんに「親友のような気持ち」を抱くようになった金元工作員。「死亡した」との北朝鮮発表を否定する



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